経営者の皆様

理念確立のための視点

経営とは何か
正しい理念の確立のためには 「経営とは何か」ということを真剣に考えることが要求される。 これなくして、理念は確立し得ない。
経営者自身が、いかなる人生観を持つのかということを、 徹底的に突き詰める必要がある。 そして、それを強烈に打ち出してこそ、 理念の実践が可能となるのである。
『いのち』とはいかなるものか
発生生物学者の岡田節人博士は、 「『いのち』というのは、いまだかつて一度も途切れたことのないもの」 「死とは、細胞同士の話し合いが途絶えるとき、 それを死ということができるかも知れない。」 「実証はされておりませんけれども、 『いのち』というものはただ一つ、 一回しか生まれたことがないという認識は、 今日、発生学のほうでは常識になってきております。」といわれた。
この発言を受けて、盛永宗興老師は、次のように解説しておられる。
仏教では、2500年前、釈尊の直感によって、 また歴代の祖師たちの直感によって、 『唯一のいのち』の自覚が、伝えられてきました。 歴代の祖師に限りません。 こうした『いのち』の自覚に達した人々は、 数多くいたのです。 有名になった人もいれば、 無名のまま、ひっそりと生涯を過ごした人もいたのでしょうが、 こうした多くの人々によって、 『いのち』の自覚は人から人へと伝えられ、 まわりにいる人々は、その『いのち』の香りを感じたのです。
『いのち』の自覚に達した人には、 ある種の雰囲気が生まれます。 そして、それは、まわりの人々に自然に影響を与えます。

その『いのち』の自覚というものが、ずっと伝えられてきた。 次から次へと自覚する人が出ることによって、 それは失われることなく続いてきたのです。 それは禅者としての生活実感である、といってもよい。 つまり、これは単なる理論や理屈ではなく、 はっきりと感じることのできる事実なのです。 ですから、20世紀も終わろうとする時期になって、 この50年来発達してきた生命科学、発生生物学の分野において、 「『いのち』というのは、ただ一回、 一つだけ生まれたということが、共通の認識になっている」 と岡田博士が断言されたのは、非常に興味深いことでした。
宗教も、自然科学も、 『いのち』と呼ぶことのできるものは、ただ一つであり、 そのただ一つの『いのち』が、 ありとあらゆる存在となって現れてきている、 という認識に達しているのです。
中略
自己の内なる『いのち』を自覚することなく、 いくら知識をひけらかし、データを掻き集め、 論理を積み重ねても、それは風に舞う塵のように、 はかなく、意味のないものです。 さらにいうなら、それは必ず混乱を深め、対立を助長し、 一つの策を適用すれば、その副作用として、 無数の難題が生じてくるという性質を持っているからです。
いま、我々に求められているのは、 我々自身の内にある、大いなる力、 『いのち』そのものに気づくことです。 これなしには、いかなる政治も、いかなる学問も、 究極的には意味のないものです。(*2)

経営は『いのち』を活かす営み
利益獲得だけが、ほんとうに目的でいいのですか

私自身は、 『いのち』を活かすという点に 経営の本質があると感じている。 企業経営は、『いのち』を活かすという視点を 片時も忘れてはならないと感じる。
収益のことを一切抜きにして、 経営の本来の姿は何か、 『いのち』とは何かといったテーマを、 一度しっかりと考えてみる必要がある。
『いのち』というものを、 単に、個体の存続と考えるのか、 それとも、岡田博士や、盛永宗興老師がいわれたように、 いまだかつて一度も断絶したことなく、 永遠の彼方から永遠の未来へ向かって続いていくものと捉えるのか。 経営に携わるものは、何をおいてもこの点を、 じっくりと感得しておく必要があるのではないだろうか。
「利益を無視するなどということはできない。」 「仙人ではないのだから霞を食って生きていくことなどできない。」 「建前と本音は異なる。」 「まず食えなければ何にもならない」 このように感じるとしたら、大きな誤解を犯していると言わざるを得ない。
ただ、利益をあげることと、利益が目的であることとは別である。
経営者が自らの我欲を満たすために利益をあげるのは、 利益が目的になっており絶対に慎まなければならない。 しかしながら、一方で、 社会に貢献しつづけるという目的のためにあげる利益は 絶対に必要である。 社会貢献は、企業に課せられた重要な使命である。 その使命を全うするためにあげる利益は、 何としても確保されなければならない。
言いかえれば、判断基準の第一順位に 「収益の獲得」があってはならないということである。 判断基準の第一順位は、使命の実践であり、 収益をあげることは、あくまでも、 崇高な目的を達成するために必要な要素の一つである ということを片時も忘れてはならない。 主客が逆・しないよう常に注意が必要である。 そのためにも、普遍的な判断の基準としての理念を確立することが、 非常に重要となるのである。

理念実践のヒント
これまで、理念の必要性と、 正しい理念を確立するために必要と思われる重要な視点について、述べてきた。 しかしながら、如何に正しい理念が確立されても、 それが実践されなければ「絵に書いた餅」でしかなく、 「理念では飯が食えない」という批判を受けることとなる。
理念を実践するためのヒントを紹介しようと思う。 ただこれらはすべて、技術論、テクニックではない。あくまでも実践原理である。
・自分の考えを衆目にさらす
自分が何を考えているのか。 自らが経営する企業はどんな理念を持ち、 どう実践しようとしているのか、あるいは、実践してきたのか。 伝えるためだけでなく、自らの退路を遮断する意味でも不可欠である。
・トップの不断の人間的な鍛錬が不可欠
経営体の理念遂行の水準は、 トップの器以上には、決してならないものである。 だから経営者たるものは、みずからの人生観というものを 常日頃から涵養していくことがきわめて大切だといえる。 経営者自らの理念に対する「信」が、何よりも問われる。 人格・説得力・先見力・利他の心などなど、 これらの総和が、自らを動かし、スタッフを動かし、顧客に感動を与え、 ひいては社会と国家を変革していく原動力となる。
・あたりまえのことをあたりまえに実行する
企業経営者である前に、 人としてあたりまえのことをあたりまえに実行する。 その難しさと素晴らしさを知り、勇気をもって実践する。 あいさつがよい例である。 残念ながら、気持よいあいさつが、 社内で徹底的に実践されている企業は、あまり多くは存在しない。 凡事徹底が大きな力となる。

・今すべきことを今実践する
過去は戻らない。 くよくよ考えても仕方がない。 未来は未だ存在しない。 大切なのは「いま」である。
・正しい問いの立て方
問題にぶつかった時、正しい問いの立て方は、 「これはよい方法なのか」ではなく、 「この方法は当社に合っているのか、 会社の基本理念と理想にあっているのか」である。 普遍的な理念は、常に拠るべき判断の基準となる。 また、そうでなければ、スローガンになってしまう。
・素直な心になること
松下幸之助は「素直な心」について、以下のように述べている。
『素直な心になれば、物事の実相が見える。 それに基づいて、何をなすべきか、 何をなさざるべきかということもわかってくる。 なすべきを行ない、なすべからざるを行なわない 真実の勇気もそこから湧いてくる。
一言で言えば、素直な心は その人を、正しく、強く、聡明にするのである。
碁は一万回うてば初段ぐらいになるのだという。 だから素直な心になりたいということを強く心に願って、 毎日をそういう気持で過ごせば、 一万日すなわち約三十年で 素直な心の初段にはなれるのではないかと考えるのである。』(*3)

・自分にしかできない仕事があると考える
自分にしかできない仕事、 決して代わりのない仕事を、 おろそかにしていないか。
これは、財貨やサービスを提供することをさしていっているのではない。 目の前の顧客になりきることは、 現場の担当者にしかできない。 そして、目の前の顧客になりきらなければ、 できないことが実はたくさんある。 タイミングを逃さない適切な対応が必要である。 このことが出きる人は、この世に一人しかいない。 代わりはないのである。
強く意識する、手を抜かない、うそを付かない、続ける
あたりまえといえばあたりまえ。 でも真理である。
(引用文献)
(*3) 松下幸之助「実践経営哲学」
PHP研究所7、13、112ページより引用
(*2) 盛永宗興「おまえは誰か」
禅文化研究所 71、89ページより引用

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