会計・税務について

理念なしには生き残れない

はじめに
経営者が、みずからの人生観をどれほど、 社会に対して伝える努力をしているのだろう。 また、その人生観をみずからの経営にどう反映させるかについて、 どれだけたゆまぬ努力を積み重ねてきたのだろうか。
このことは、経営者みずからが、 自分の人生観の実践に対して、 どの程度真剣に取り組んできたかの指標でもある。 経営者自身の生きざまが問われていると言っても過言ではない。 素晴らしい人生観が、経営の現場で生かされることなく、 埋もれてしまってはいないだろうか。
経営者が自らの人生観に根ざした経営理念を確立することの必要性、 また、経営理念を考える上での重要な視点、 さらに、その実践のためのヒントを提案しようと思う。

「理念では飯が食えない」は本当か
「理念では飯が食えない」という言葉をたびたび耳にする。 はたして、「理念では飯が食えないのか」 まずこの点を明確にしておく必要がある。
結論から言うと、 「理念では飯が食えない」のではない。 「理念を徹底的に実践しないから飯が食えないのだ」
理念が「絵に書いた餅」あるいは、 単なるスローガンになっているから飯が食えないのだ。
正しい理念を掲げることはさほど難しいことではない。 実は、理念で掲げたことの地道な実践が何よりも困難なことなのである。
理念が正しいものであることは当然のことであり重要であるが、 経営の観点から考えると、 最も重要なことは、理念の内容にもまして、 理念をいかに深く信じて、実践しようとしているかだといえる。

経営理念の必要性

顧客のために
「顧客のために」という理念。 この理念は正しいとしても、 経営体の隅々までこの理念が浸透していなければ、 あるいは、浸透させようとの日々の努力を怠っているならば、 理念はスローガンでしかない。
スタッフ全員の一挙一動に、 どれだけ一貫して「顧客のために」という理念が 実践され、息づき、現れているのか。 理念を信仰に近いほどまでの情熱をもって維持してゆく との決意がなければ決してできることではない。
不断の努力を行っていたとしても、 それを実現することは、たやすいことではないのである。
「理念では、飯が食えない」という人達は、 その多くは、理念の実践に本気で取り組んでいない。 自らが、地道な努力を回避していることを、 ごまかすための言い訳にしているといわざるを得ない。
正しい理念をもち、それを実現することができれば、 あるいは、たとえ完全にできなくとも、 何としても実践してゆくとの姿勢を崩すことなく 不断の努力を続けることは、 経営にとって大きな貢献をもたらすことは疑う・地がない。

理念と利益の関係
理念と利益が、相反するものだと考えているとすると、 これも大きな誤りである。
正しい理念を実践することと、 収益を得ることとは、二者択一ではない。 両方を同時に実現させる性格のものである。
「企業を存続させるために最低限の利益が必要だから、 理念が守れない場合もある」というのは、 理念を守らないことへの言い訳である。 たしかに、「理念と利益が相反する」と感じられる場面がある ということは理解できる。 しかし、実は、二者択一だと感じられる項目は、 理念を守るための必要経費なのではないか。 考慮する・地などないのではないだろうか。
原価がかからず、理念の実践になり、 収益の獲得にもつながることがいくらでもある。 「心をこめてあいさつを励行すること」や 笑顔で接すること」などは、よい例である。

松下幸之助が説く経営理念の必要性
経営理念を確立することについて、 経営の神様と言われる松下幸之助は、次のように述べている。
『私は60年にわたって事業経営にたずさわってきた。 そして、その体験を通じて感じるのは 経営理念というものの大切さである。 言いかえれば 「この会社は何のために存在しているのか。 この経営をどういう目的で、またどのようなやり方で行っていくのか」 という点について、しっかりとした基本の考え方を持つということである。
事業経営においては、たとえば 技術力も大事、販売力も大事、資金力も大事、また人も大事といったように 大切なものは個々にはいろいろあるが、 一番根本になるのは、正しい経営理念である。
それが根底にあってこそ、 人も技術も資金もはじめて真に生かされてくるし、 また一面それらはそうした正しい経営理念のあるところから 生まれてきやすいともいえる。 だから経営の健全な発展を生むためには、 まずこの経営理念を持つというところから始めなくてはならない。 そういうことを私は自分の六十年の体験を通じて、 身をもって実感してきているのである。

経営にあたっては、単なる利害であるとか、 事業の拡張とかいったことだけを考えていたのではいけない。 やはり根底に正しい経営理念がなくてはならない。 そして、その経営理念というものは、 何が正しいかという、 一つの人生観、社会観、世界観に深く根ざしたものでなくてはならないだろう。 そう言うところから生まれてくるものであってこそ、 真に正しい経営理念たり得るのである。
人間の本質なり自然の摂理に照らして 何が正しいかということに立脚した経営理念というものは、 昔も今も将来も、また日本においても外国においても通じるものがある。 私は自分の体験からそのように考えているのである。』(*1)
(引用文献)

(*1) 松下幸之助「実践経営哲学」
PHP研究所7、13、112ページより引用

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